諦めたらアカン 

大腸癌ステージ4の闘病記

Y先生は年中無休(・・?

担当医のY先生。 とても良い先生に当たったなぁ、と心から思う。

ステージ4のこの体を、残りの命を預けたようなもの。

とても親身になって頂けていると感じている。

たとえこの先がどう転ぼうとY先生を信じて付いていこうと思っている。

 

さて、このY先生であるが、入院した日から退院した日まで、毎朝、絶対に回診前にお一人で病室を覘きに来てくださっていた。

 

Y先生は金曜日が外来での診察の日、それ以外は常に手術をされているのか?

 

それよりも、絶対に毎朝来ていたということは? 

お休みの日というのはないのか? 素朴な疑問を持ってしまった。

日曜日でも必ず朝、病室を覘いてくださった。

 

ある看護師さんが言ってた・・・Y先生は慎重派。

確かに慎重派であるなぁ、というのは感じるけど(笑)

でも、それだけ患者さんのこと思ってくださっている、そういう名医に担当してもらえて光栄である。

 

ある日、別の患者さん(多分大腸癌) 退院まで数日の人が別の先生と話していたのが、

缶コーヒーが好きなので飲んでも良いか?

きっとY先生なら今はダメ、と言ったであろうが、その先生は一本ぐらいなら大丈夫でしょ、と笑いながら言っていた。

 

そんな先生に当たらなくて良かったなぁ・・・と今もって思ったりする。

 

 

祝、退院 ポート埋め込み

6月16日、無事に退院の日がやってきた。

23日間の入院生活であったわけで、最初は約1か月ということだったので予定よりは早かった。

そもそもが癌の手術そのものは難しいものでなく、術後の傷はあっという間にふさがるし、痛みほぼないに等しいし。
病床を早め早めに空ける流れから考えたら3週間程度が普通と思った。
あれ以上入院してても時間の無駄。

家族に迎えに来てもらって、いざ23日ぶりに外の空気を吸った。
入院中はまったく外気に当たらない、窓も開かない病室だったので。

 

入院した5月24日は涼しかったが、退院した6月17日は暑かった。
季節は真夏になっていた。太陽光線がキツイ☀

久しぶりの自宅に戻る♪

高齢の両親と会うのも久しぶりだ。

痩せては帰ってきているが、想像したよりは顔色もよく元気そうだと言われた。
ご近所の人からも同じくで、元気そう、病人には見えない、などと言われた。

こういう場合って病人風に見えた方がいいのか?悪いのか?微妙(笑)

若干の倦怠感はあるがじーっとしてたらダメらしい。
どの程度動けばいいのか?もよく分らないが、できるだけ動くようにする。

相変わらず便の方が不安定、というか、便意はあるが出ない、中身がない?という感じか?

こういう症状は長く続くと言われた。

抗がん剤投与が退院の1か月後から開始ということで、25日に再度入院、翌日26日に右胸にポートを埋め込む手術、翌日退院と決まっている。

抗がん剤を点滴投与する場合、心臓に近いせい脈に確実届けるという意味でCVポートというものを右胸に埋め込む。

詳しいことは

CVポート|化学療法サポート

 

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こんなモノが!

 

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こんな感じで胸に埋め込まれるらしい!

 

現実、実際に今、埋め込まれている。

 

 

 

 

退院、これからの方針

手術後の経過は良好♪ 16日に退院と決まった。

31日に手術なので術後17日間の入院だった。

気がつけば意外と早く感じた。

 

暇や、暇やと思いながら時間はさっさと経過してくれる。

夜中、便意で何度も起きてしまうので熟睡が出来ない。

夜中にボーッと夜景を見ながら今後のこととか考えたりした。

どう進んでいくのか? 俺はどうなるのか? いつまで生きられるんやろか?

 

こんだけほっといて、ステージ4 自業自得!

きっと近々ヤバいことになるやろな、と思いつつ数か月も黙っていたんやし。

 

なので、もしかしたら?死ぬ?

そんな覚悟は出来てしまってた。

 

退院後の方針が決まった。

XELOX療法+ゼローダの服用。もっとも一般的なパターンのようだ

 

オキサリプラチン、アバスチンというお薬を点滴。その日からゼローダを朝夕と服用して2週間続けて、1週間お休みする。

 

副作用について色々と説明を受けた。

抗がん剤の副作用は怖い、というか、まさか!自分が抗がん剤治療を受けるという人生なんて想像したこともない。

親友が白血病になって、やはり化学療法を受けていた。

リアルにその症状を知ってたので怖かった。

 

大腸癌そのものの切除治療は簡単なものとして終わったが、これから先、新しい闘いが始まる。

 

抗がん剤をしたから、じゃ治りました、ではないと思う。

かなりの覚悟が必要ではあるが、ある意味、これも俺の人生、体験してみるのも悪くはない。そう考えることにした。

ダメならダメで仕方ない。

まずは始めること、そして少しでも生きること、常に死を意識しつつ前向きに負けない精神で頑張ること。

 

諦めたらアカン!

 

 

経過順調で久しぶりの食事に涙。

手術の翌日、早々に元の病室に移動した。

不思議と腹部の傷は痛みが少ない。

 

看護師さんに写真を撮ってもらうことにした(笑) 記念写真!

 

 

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かなり悲惨な状態だが、ほとんど痛みがない。
背中から痛み止めが効いている証拠かと。

 

お昼には立たされて、病棟内をぐるりと歩かされた。

 

まだお水も飲んではいけない・・・。

 

3日目、やっとお水を飲むことオッケー♪

 

そして10日目、つまり入院して絶食して17日目の食事が出た(^O^)

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味がついたものを口に入れる。

瞬間に涙が出た。

 

メイバランスが実に美味かった(^o^)

 

 

この間に色んなところから挿入されている管が取れた。

 

体が自由になった。

 

但し、排便がめちゃくちゃに不規則。

またしてもトイレに駆け込む、夜中でも便意で走るような・・・。

 

直腸を切って短くなって、なかなか収まりきらない落ち着かない、これは当分の間続くらしい。

 

退院前、それなりの食事が出るようになった。

 

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食べられる喜び♪

 

感謝、感謝で美味しくいただきました。

 

 

抗がん剤投与3回目

昨日27日は3回目の抗がん剤投与の日でした。

 

まず朝から血液検査と尿検査して、結果が1時間以上掛かるので10時半ごろの予約受診。

 

Y先生の診察を受けて、とりあえず血液検査からの数値とか(赤血球、白血球、血小板、ヘモグロビン) 抗がん剤からの副作用でここらへんの数値の減りとかの説明を受けます。

特に大きな変化もなく、予定通りに化学療法室へ行って約3時間半の抗がん剤投与でした。

 

もう3回目なので慣れてしまってて不安もなく。

 

右胸に埋め込んだポートに直接点滴の針を刺して、あとはじーっと時間をつぶす。

 

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オキサリプラチンとアバスチンの2種類の点滴をします。

 

投与後、まず気になったのは前回より水を触ると手の指がピリピリ。

前回2回目の時より強く感じるが、食欲はあるし(夕飯もしっかり食えた

倦怠感、疲労感もそう感じられなかった。

 

こうして2週間、ゼローダという飲み薬を朝夕と服用、1週間休薬して、時間(4回目)の抗がん剤投与10月8日で推移していく。

実際に体の中でどうなっていってるのか?抗がん剤が効いているのか?無駄に流れて出ていってるのか?

副作用があまり大きくない、酷い人は食欲なく、味覚までないという人もいる。

副作用がないということは?効いていないんと違うやろか?とか勝手に思ってしまうし。

 

さあ今日と明日、仕事したら明後日はお休みや😃がんばろ♪

 

目が覚めて 人工肛門の回避♪

よ~~~~く眠っていた♪ すごく気持ちよく眠っていた♪

が、名前を連呼されて目が覚めた。

 

少しボーッとしているがY先生の顔が見える、声が聞こえる。

 

人工肛門を回避しましたからね」

えっ!人工肛門ではなかった。

 

続いて家族の顔が見えた。ほんの少しの時間だけ話が出来た。

人工肛門が回避できて非常に喜んでいた。

 

家族によれば、いざ大腸を見てみると想像よりはむくみも少なく、これなら繋げるんではないか?

そうY先生と周囲の先生とが判断したらしい。

 

よかった、本当によかった😃

 

手術時間約9時間、我ながらよく頑張った。

 

ロボット支援下腹腔鏡手術、術後、非常に楽である。ほぼ痛みがない。

 

イメージとしてはこんな感じらしい。(画像拝借しています)

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すごい時代になったもんや!

 

実はうちの母親が25年前に同じく大腸癌切除をおこなっているが、開腹手術だったので麻酔が覚めてからの痛みが強烈だったらしい。

 

背中から挿入している痛み止めの効果もあるけれど、ほぼ強烈な痛みというものは感じない。

 

背中の痛み止めの管、尿をとる管、肛門からの管、左下腹部(繋いだ直腸付近)と合計4本の管が体内から出ている。

 

しばらく不自由と想像したけど、翌日のお昼にはベッドから立たされて歩かされた。

尿をとる管を抜いたのでトイレまでは歩いていける。

 

Y先生「一か八か繋いだので、より慎重に、10日間は絶食」

また当分は点滴生活が続く・・・。

 

入院前の1週間、そしてさらに10日間の絶食!

かなり厳しいなぁ、と思ったが、とにかく人工肛門の回避、一応の手術の成功に感謝♪

 

 

 

 

 

 

 

いざ手術!

入院4日目だったか?人工肛門をつけるにあたってお腹に印をつけに看護師さんがきた。

座ったりしてお臍から何センチの位置にとか印をつけていく。

Y先生によれば右なら一時的な人工肛門、左なら永久の人工肛門となるそうだ。

 

毎朝、Y先生は各病室を回って自分の担当する患者さんに声をかけていく。

 

「麻酔から目覚めたらどちらかに人工肛門がついているでしょう」

そう言われてしまったし、これは確実やな、仕方ないなぁ、と思うしかなかった。

とりあえず癌を切除してもらい命が助かるなら受けて立とう人工肛門

 

31日がやってきた。前夜、眠れないかなと思ったが意外と普通に眠れた。

手術着に着替えて、最後の浣腸をして!

人工肛門になるならば、これが人生最後の排便となる!それが浣腸で、とは情けない。

 

 

コロナ過で面会は禁止だが、この日だけは家族との接見オッケー。

嫁さんと長男の嫁、東京から次男も駆けつけてきてくれた。

 

笑顔でVサイン♪ 必ず帰ってくる、とりあえずは生きて戻るから。

 

手術室は想像より広かった。

生年月日と名前を言わされて手術台に横になる。

 

実はここの麻酔科医師は中学の頃の同級生。

麻酔科部長を務めるN君。彼の担当だった。

 

手術の3日前だったか?にN君が病室を訪ねてきてくれた。

月曜日の手術の患者名を見て、えっ!と思って訪ねてくれたそうだ。

同級生に感謝♪

彼が麻酔してくれるなら安心だ♪

 

背中に穴をあけて管を挿入、痛み止めらしい。

 

そして麻酔の開始。

 

「じゃ、寝てもらおうか」

 

スーッと一瞬にして記憶がなくなった。